恋人になりたい男となりたくない男

しまったと思った瞬間にはもう遅かった。こちらを見据える青い瞳は、確かに怒りを滲ませている。
怒らせてしまった。クリスは自分の失言に思わずため息を吐きそうになったが、火に油を注ぐ前になんとか飲み込んだ。
「つまり、お前は恋人でもない男と会うたびに寝てるのか」
「そういう意味で言ったんじゃない」
レオンの言い草は心外だが、クリスの伝え方では突き詰めればそういうことになってしまう。
お互いもう中年の男で、関係を始める前に改めて告白し合ったわけでもないが、クリスはなんの抵抗も無く簡単に他人と(同性となれば尚更)関係を持てる性格ではないし、レオンとて戯れに男に手を出すような趣味は持ち合わせていない。お互いにとって特別な相手だということに間違いはないはずだし、レオンに至っては恋人同士の自然な流れだと認識していた。
それなのに、クリスはレオンに言ったのだ。
「恋人ってわけでもないし、そんなに気を使う必要はないぞ」と。

 

心地よい酔いは覚め、並んで座ったソファの右隣から注がれる視線の居心地の悪さに、クリスは手の中の温くなったエールのグラスに視線を落とした。
「じゃあ、どういう意味で言ったんだ」
クリスの言い分としては、何ヶ月も、下手したら年単位で連絡が取れなくなることもある距離感で恋人として自分が何かできるとは言い難かったし、そんな中のたった数時間の逢瀬でレオンを自分に縛るのは酷だと思っている。
クリスとてレオンが、他の人間と深い仲になるのは良い気分ではないが、自分ならまだしも相手はレオンなのだ。そういうことがあってもおかしくは無いし、自分が自由に会える相手ではないと自覚がある手前、仕方がないと納得できた。
「…お前はそうなのか?やれそうなら他のやつとでもやるのか」
「いや、俺のことは…そういう話じゃくて…」
「そういう話じゃないか!」
珍しく語尾を荒げるレオンにクリスの肩が揺れた。怒りというには悲痛な声だった。恐る恐るその視線を覗き込む。美しい青が、水のように波打っている。
罪悪感がクリスを動揺させた。いつか事件のことで言い争いをした事もあったが、苛立ちこそあれ、こんな泣き出しそうな顔を見せられたことなどついぞなかった。
「すまん…お前を、信じてないとか、そういうことじゃないんだ。傷つけるようなことを言って悪かった」
クリスはそっとレオンの腕に触れた。抵抗されなかったのでそのままおずおずと肩から背に手を回す。滑らかなブロンドがすんなりとクリスの太い腕と厚い胸の間に収まった。
クリスはどうしても考えてしまうのだ。この甘やかな時間がいつか足枷になってしまうのではないかと。もし、自分がいなくなったら。もし、相手がいなくなったら…?たくさんの別れを経た今、それを考えずにはいられない。大切な存在は確かに大きな力をくれるが、諸刃の刃だ。いざという時、自分のためにレオンに迷って欲しくなかった。
「いいや」
しばらく黙ってクリスの話を聞いた後、腕の中から聞こえる穏やかなレオンの返事にクリスは胸を撫で下ろした。
「いいやクリス。お前は何も解っていない」
安堵したのも束の間、一転してどこか冷たいレオンの声と共にぐるりと視界が反転した。
ソファの座面にクリスを押し倒し覆いかぶさるレオンの顔も青い目も、逆光に遮られどんな表情をしているのかクリスにはわからない。
「俺は、会えなくてお前が寂しい思いをしても俺に縛り付けたいし、いつか俺に何かがあってお前を傷つけてでも、永遠に俺の物にしていたいんだ」

だからクリス、俺の恋人になってくれ。