夜の終わりまで

ネオン管の安っぽい光を暗いブロンドに反射させて、青年が苛立ちのまま早足で歩いている。
目立たない路地の隙間に面しているにしてはやけに人の出入りの多いバーの入り口に立つ、顔見知りの用心棒を押し除ける勢いで店に入ると、メインフロアの喧騒をかき分けて奥のラウンジへと直行した。
個室に区切られたスペースの前に立っている見張りであろう若い男があからさまに青年を威嚇したが、そんなものは見えていないと言わんばかりに半身を翻して押し入った。
「おい!ケネディ、お前…!」
「かまわん」
見た目通り血気盛んな若者が青年の腕を掴み止めようとしたが、部屋に据え置かれたソファの一番奥に座る男の一言で、しぶしぶながら手を離す。その手を鬱陶しそうに振り払うと、ケネディと呼ばれた青年は、男の目の前に立ち、真っ直ぐに見下ろした。
全身黒い服を纏った、体格の良い壮年の男だ。薄暗い照明を受けて影を作ったその表情には、健康的な体躯とは裏腹に、どことなく暗い雰囲気があった。
「何が不服だ」
男の、ため息混じりの低い声に如実に混じる呆れは青年の苛立ちを逆撫でしたようで、その眉間の皺を深くした。
「約束が違う」
咎める言葉に、目の前の男からではなく、背後から刺すような殺気が立っている。男の斜向かいにはもう一人、青年と同じ二十代半ば頃であろう、短髪の男が座っていた。見張りの若者のように騒ぎはしないが、青年が現れてからずっと鋭利な視線を送っているのが見ないでも解った。
「仕事に対して十分な報酬が支払われているはずだが」
「約束したのは金じゃない」
手違いでもあったか、ピアーズ?と斜向かいの男に投げかける言葉を遮るように、青年が捲し立てる。

「俺の報酬は、あんただ」

 

ーーー

 

(今日は、いないか…)
ここにくると無意識に探してしまう影がある。
古びているがやけに活気のあるこの店は、素通りするだけならただのゴロツキやギャング崩れの溜まり場のように見える。だが、長い間来るもの拒まずでその場所に存在し、いつ誰がそうし始めたのかも判らないほどいつの間にか、腹に一物ある者たちのサロンのような役割を担い、ある種の界隈で知見のある者達の間では、人脈や情報を売り買いする場になっている。
レオン・ケネディは国から雇われたエージェントである。
それを知られればここに入り浸ることは出来ないだろうが、幸いまだばれずに済んでいる。
レオンがカウンターに凭れて約束の相手を待ちながら、店内に“その人“がいないか探すのは最近の習慣になっている。
話したこともない、たまに見かけることがあるだけの年嵩の、それなりの身なりをした男性なのだが、この場所に似合わない、かと言ってその大柄で隙のない出立はただの堅気にも見えない、独特な存在感のある人だった。
不思議なことに、騒がしくすぐに小競り合いやいざこざの起こるこの店で、どうにも周りから浮いているのに、誰かが男に絡んだり話しかけるのを見たことがない。なんとなく周りも男の存在を気にしている気配はあるのに、それに触れるのが意図的に避けられている空気があった。
それを最初に見た時レオンは、こんな人がこんなところで飲む酒なんて旨くもないだろうになどと思いながら、その姿をどうしても、いつまでも目で追ってしまうのだ。
以来その男性がいることを訪れるたびに少し期待してしまうのだが、今日はハズレのようだ。そう諦めたころに、本来の待ち人は現れた。
「悪いんだが、もうお前に情報は売れそうにないんだ、スコット」
それなりの代金を払ってアポを取っている相手は挨拶もそこそこに妙に晴れやかな顔で、レオンがこの場で使っている名を呼んだ。
「それは困るな。こんな掃き溜めでまともな会話が出来る相手を、あんたぐらいしか俺はしらないんだ。ケイ」
こういう場を利用するのは止むに止まれぬ場合のみにしたいのだが、ある程度顔と名前を知られて多少の信頼をかせがないと、欲しい情報も得られない。
怪しくない程度の間隔をおいて常連になり、ようやっと出来た馴染みの情報屋がこのケイだった。
表面上はそれほど困ってそうな素振りも見せないレオンに、ケイは苦笑いで肩をすくめる。
「生憎、俺もそろそろこんな商売からは足を洗おうと思ってさ。だが、朗報もあるぜ。
お前が知りたがっていた人間のことだ。彼がお前に会ってもいいと」
「本当か?」
つい、前のめりになる。それはレオンが、延いては当局がずっと探していた人物だ。
この店に馴染もうとレオンが追力した大元の理由も、その人物がここに出入りしてると分かったからだ。
しかし、この一見無秩序に見える場所でも彼らの商売道具である情報の扱いは丁重で、他のことならそれなりに協力してくれたケイにも、それに関しては知っているのかいないのか、曖昧な態度を貫き通されてきた。
「店仕舞いセールにしてもいきなりサービスが過ぎるな、ケイ?条件はなんだ」
「まあ疑うのもわかるよ。…俺も本当は、あまり会わせたくなかったんだが…」
本人が良いというから、しかたない。と、レオンと負けず劣らず本音の見えない笑顔でため息をついてみせ、俺の転職先のボスなんだよね、と続けた。

 

奥で待ってる、とケイはレオンを促した。バックヤードだと思しき扉の向こうには階段が続いており、2階はラウンジになっているらしい。
部屋の前に立っていた男にケイが了解をとり、中に通された。
部屋に誂えられたソファに男が1人、座っている。正確には、そばに何人か控えていたのだが、レオンの意識は、奥にいる男ただ1人に注がれていた。
「急に呼び立ててすまなかった、スコット…、レオン・スコット・ケネディ君」
名乗った覚えのない、自分をフルネームで呼ぶその相手を、レオンは目を丸くして見た。
「あんたは…。…あんたが、“アルファ”なのか?」
“アルファ”・・・それが、レオンが時間をかけて探りを入れていた組織のボスの通称である。国が危険視している組織、狼たちの長、アルファ。
そして、目の前でそれに頷いたのは、レオンが下の店でいつも気にかけていた、あの浮世離れした大柄の男だった。
「座ってくれ、スコット…」
「レオンで良い」
もう、こちらのことは大方つかんでいるんだろ、とレオンが飄々と腰掛けると、アルファは少し首を傾げて、そして、微笑んだ。
「では、俺のことはクリスでいい。クリストファー・レッドフィールドと言う」
ボス、とそばにいた1人が咎めるようにアルファ…クリスに呼びかけたが、クリスはそれを黙って目で制した。レオンはただそれを眺めながら、これまで仏頂面しかみたことがなかった男の、存外柔らかい、不意の笑顔に戸惑っていた。
「そうだな、俺は君のことを知っている。君の“雇い主”が、俺たちの内情を探ろうとしていることも。…俺は、周りくどい駆け引きは得意じゃないから単刀直入に言うが、俺たちに協力して欲しい、レオン」
「…俺にテロの片棒を担げって?」
レオンの言葉に、周囲が色めきだった。扉に錠のかかる音がする。
「スコット!俺たちは…!」ケイだけが慌てて場を収めようと声を上げたが、向けられる多数の殺気にレオンも腰を浮かせ臨戦体制をとろうとした。
「良い、ケイ。皆も、いいんだ。下がっていてくれないか」
しかしクリスの鶴の一声で、緊張感は抜けないながらも渋々と男たちは動きを止めた。ただ先ほどクリスを咎めた1人がクリスとレオンの間に立ちはだかったまま動こうとせず、お前もだ、ピアーズ、とクリスが名指しで下がらせる。
「すまないが、2人にしてくれ」

 

「こちらが頼む立場なのに、失礼な態度で悪かったな」
「…あんたの部下、躾がいいのか悪いのか、よくわからないな」
納得していないという空気はあからさまに、それでも何も言わずクリスの指示に従って部屋を出て行った男達をレオンがそう揶揄すると、またクリスがうっすらと笑う気配がした。
「君と同じように、俺もケイには色々と協力してもらっていたんだ。引き抜いたのは最近だ。嘘の情報を流したりはしていないから安心してくれ」
「世間話はいいよ。あんたは、俺があんた達に探りを入れていることを知っていた。その上で、リスクを冒して俺の前に正体を表した。その理由は?」
考えていたよりもずっと柔和な雰囲気に思わず動揺しそうになっていること知られまいと、レオンは慎重に言葉を発する。
「ラクーンシティ…」
それでもクリスが、空を見つめて発したその名にはピクリと体が反応した。
「国は、なかったことにしたんだな」
全ての始まりの町の名だ。
レオン自身が巻き込まれた当事者で、知りすぎてしまった故に今の立場にいる。
「どうしてそれを、と言いたい所だが、今更だな。
あんたたちはこれまで、国が隠蔽するのに必死になった事件にいくつも関わっている」
「お前たちの間では、俺たちはテロリスト扱いなのか?」
「まだそうじゃない…それを確かめるのが俺の仕事だった」
実際の所は、ほぼ国はそうだと確定しているに近い。レオンに任されているのは「確認」ではなく、「証拠集め」だ。
「俺たちはテロリストじゃない。そいつらがのさばらないように戦っている。
君もそうだろう、レオン。今君は国のためじゃなく、あの忌々しいバイオ兵器で、これ以上悲劇が起きないために働いているんだろう」
「…俺の何を知っていてそう思う」
レオンは腹立たしかった。自分が何を見たか、何をさせられたか、どうして今の道を選ばざるを得なかったのか、何も知らないくせに。
忌々しいのは、クリスの言うことは間違いではなかったからだ。ただ、聞こえの良い言葉一つで語られて頷くけるほど、レオンにとって簡単なことではなかった。
「俺も、警官だったんだ。昔はな」
レオンが怒っているのを察しているのかいないのか、クリスはそのまま続けた。
お前とは、同じ目的のために戦えるんじゃないかと思っている。
媚びているわけでもない、嘘を感じさせない真摯な声と眼差しだった。
ああ、こうやって、この男は狼たちを懐柔しているのか、と冷静に思う一方、彼に対して怒りを持続させられない自分にも、レオンはなんとなく気づいていた。
「正直分からない。あんたたちがこちらを先回りして潰したテロ未遂がいくつか
あるのを把握してはいるが…なら、なぜこちらに協力しない?出し抜く真似をしてなぜ黙ってサンプルを回収していく?疑われない方が無理だ」
「…さっき、口を挟んだ若いのがいただろう。お前と同じくらいの…
実際は見た目より“もう少し“年上だがな」
まるでクリスの側近のように側で目を光らせていた青年を思い出す。ケイよりも年下に見えたが、古株なのだろうか。明らかにあの中で1番レオンを忌々しそうに睨んでいた。
「彼は、ウィルスのキャリアだ」
冷静を保っていたレオンも流石に、目を丸くして声が高くなる。
「何の対策もなしにそばに置いているのか!?」
「もちろん知識のある者に診せているし、薬の投与も受けているが、問題ないと判断したのは俺で、そばに置くと決めたのも俺だ」
クリスが言えば、そうなるのだろう。ここでは。しかし、それをよりによって自分に話してしまうとは。冷静に見えて、この男は馬鹿なのか?そう思ったが、きっと手の内を明かすことでクリスはレオンが、自分に協力することに賭けているのだ。
「彼は自分の意思で、普通に生活できる。誰も襲わない。そう主張して、“そちら”はそれを受け入れてくれるか?彼を保護して、人間らしい生活をさせてくれるだろうか?」
「…」
レオンは、何も言えない。それが答えだ。
「彼だけじゃない。そんな人間は他にもいる。あいつのように普通に振る舞えているのはまだ幸運だ。俺の妹の…恋人は、そうはいかなかった。もう元に戻れるかもわからない。だけど、彼女が諦めない限り、俺はもう無理だなんて言えない」
レオンにはわかった。そうできるようになるまで、今の力と地位を得るまでに、彼が多くを諦めざるを得なかったことを。あの地獄を経験したからこそわかる。彼もまたたくさん亡くしてきたのだろう。時には、自分が手を下すことで。
「もう、誰も失いたくないんだ。それが、エゴだと言われても、何が起ころうとも全て己の責任だと決めた」
俺にはそれだけだ、とクリスは言った。
それだけ、とレオンが無意味にその言葉尻を鸚鵡返しするのを、クリスは黙って聞いていた。
レオンは動揺した。それはこの組織の抱える危険性に、ではない。
レオンは迂闊にも、この男の背負う途方もないその重荷を、自分が軽くしてやりたいと、そう思ってしまったのだ。

 

クリスの要望は、レオンには骨が折れるが単純なことだった。
組織の情報を国に渡らないように、判らないままにしていて欲しい。
クリス達が行動をやりやすくするために目を逸らさせると言うことにまでなると多少の工作も必要だが、どこまでレオンが尽力するのかは任せる、と言うことだった。
それに対して対価も払うと。しかし、ビジネスというよりもほとんどレオンの情に訴えているだけの取引だ。
「俺が断ると言ったらどうするつもりだったんだ」
「さあ、手間はかかるが、また雲隠れするさ。二度と会うことがないように祈ろう」
「よく言う。あんたは、俺が断るなんて想定してなかっただろう」
「そんなことはない。でも、レオン・ケネディという男は信じられると思ったから、全て話した」
愚かなのか、強かなのかよくわからない男だと思うが、レオンはもうクリスの賭けには負けを認めている。
ただ、当のクリスの思惑とは少し外れたところで。
二度と会うことがないように、だって?そうはさせない。

 

ーーー

 

「約束したのは金じゃない。俺の報酬はあんただ」
レオンの訴えを聞いてクリスが何かを発しようとする前に、
ピアーズと呼ばれた男が立ち上がる。
それと同時に、部屋の照明が鈍い音を立てて点滅した。
「それで?望むものが支払われなかったら、約束は反故にすると?」
次に言葉を発したのはクリスではなくピアーズだった。
「取引が果たされないんじゃな。それに反故にしたのはそちらだ」
レオンは悟られないように唾を飲んだ。
この男はクリスの言う「キャリア」だ。それがどう言うものか、レオンはまだ見たことがない。
「お前はわかってない。今ここで“証拠“を消すことなど、俺には容易くできる」
パンッ、と背後で音がした。蛍光灯が割れたらしい。
カチカチと安定しない光の点滅が起こる部屋で、ピアーズの目が、わずかに青白く発光しているのをレオンは見た。
「ピアーズ!」
「スコット!こっちに!」
クリスが声をあげたのと、いつの間にかそばに来ていたケイにレオンが部屋から引きずり出されたのは同時だった。
思わぬ方向から引っ張られて抵抗する暇もなくその場から引き離されるレオンに、ケイが部屋の扉を慌てて閉める直前、ピアーズを強く抱きしめているクリスが見えた。

 

「ケイ、邪魔するな!俺はクリスに用が」
「わかった!わかったからその名前をでかい声で呼ばないでくれ!」
レオンを下階の喧騒の中に引きずりながらなんとか宥めようとするケイに抵抗するレオンだったが、ボスから伝言があるんだよ!と言うケイの言葉にぴたりと動きを止めた。
「はあ〜…悪かったよ、ごめん、代わりに謝る。あいつ、怒らすとコエーんだよ。普段温厚だから余計に」
「温厚だと?あれが?」
「まあね…ボスが絡むとね…」
お前も思い当たるところあるんじゃないか、と呆れた調子にで言われて、そのケイのいつも通り飄々とした態度に、レオンも幾分落ち着きを取り戻してきた。
「お前も薄々感じてると思うが、ボス絡みで周りを刺激するのは止めとけよ。あいつら…俺たちは、ボスがいなけりゃ烏合の衆だ。組織はあの人の存在で成り立ってるんだよ」
ほれ、覚えたら燃やしとけよ、と渡されたメモには、時間と場所が記されていた。
「金は受け取っておけ。お前の条件が知れたら、ボスはともかく周りが許さないからな。建前だ」
「…わかった。あとはクリスと話す」
「そうしてくれ」
レオンがケイに礼を言うと、「俺はボスに従っただけだ」とケイは微妙な顔をして、さっさと行けとばかりに手を振った。
レオンが店から姿を消し、ケイはやれやれと側のカウンターで酒を注文する。すぐに出てきたグラスを一気に煽ると、誰にも聞こえない低い声でつぶやいた。
「だから会わせたくなかったんだよなぁ。クソが」

 

 

 

メモで指示された場所はホテルの一室だった。指定された部屋のあるフロアは静まり返っていて、部屋に着くまで誰ともすれ違わなかった。いつものバーの、粗野でうるさい様相からの落差で、現実味が薄れていく心地がした。
「あんたはそれでいいのか」
「それで、とは?」
レオンを部屋に招き入れたクリスは1人で、先ほど店で見せた素っ気なさなど無かったことのように、初めて会った時と同じ温和な雰囲気のままレオンをあっさりとベッドルームに通した。
「俺が言うのも、何だけど…こんな条件、簡単に飲むのか」
「簡単に…と言われると、少し語弊はあるが…」
別に、すごく慣れているわけじゃないぞ、と困ったように笑った。
情事に繋がる気配なぞ微塵も感じさせず、のほほんとしているようにさえ見えるのに。
不思議だった。店で見かけていた時も、色事などとは縁遠い堅物のようにも見えたのに、話し方や仕草から、時折ぞくっとするような色気を感じさせる瞬間がある。
最初に2人きりになった時もそうだった。それがレオンにこんな突拍子もない提案をさせた。これが計算ずくだとしたら、とんでもない男だ。
「俺じゃなくても…そうやって…」
「ん?すまない、聞こえなった」
らしくなく自信なさげに小声のレオンに、もう一度言ってくれないか、と子供に聞くようにクリスは訊ねた。
「あいつにも、こうやって応えてやったのか」
クリスに尋常じゃない執着を見せるあの部下の男。
何となくレオンの言いたいことがわかってきたクリスは、ベッドの淵に腰をかけて静かに答えた。
「あいつは俺にそう言うことは求めない。けれど、あいつがそうしたいなら、そうしてやるかもな」
「どうして…!」
「命の恩人だからだ」
キッパリと言われて、ぐっ、とレオンは次の言葉を飲み込んだ。
彼が“アルファ“と呼ばれる由縁。個々の能力の高いクセのある集団を一つの群れのように束ねて守ることのできる理由。
一度会っただけの自分が、ただ素性を明かされただけで、おそらくレオンには計り知れない絆があるであろう他の仲間たちと、何を張り合おうとしていたのか、その愚かさに急に恥ずかしくなる。
「レオン、俺は、お前の物にはなってやれないよ」
ピクリ、とレオンの体が戦慄く。クリスの、何もかもわかっているという態度に、自分のような人間は初めてではないと、そう暗に言われているとレオンは受け取った。
「俺はもう、自分のために生きようとは思わない。そう思えるには、犠牲が多すぎた。俺自身に利用できる価値があるなら、ただそうするだけだ。けれど」
わかっている。わかろうとしている。クリスは目的を、仲間を守るために、できることをしている。こんな方法でレオンに取り入るのも、それが有効だと理解しているからしているだけなんだろう。それでも、抗えなかった時点で、レオンの負けなのだ。
「お前に応えたのは、お前になら良いと、そう思ったからだ」
たとえケイやあいつにも同じように微笑んで抱きしめるのだとしても、それでももう、レオンはクリスが欲しくてたまらなかった。

 

 

 

ベッドに横たわったクリスの裸体を見下ろしてレオンは息を呑んだ。ボリュームのある彫刻のような筋肉に覆われた体には無数の古傷が這っていて、それは痛々しくもエロティックに薄暗い光の合間に浮かんでいて、これからこの体を好きにしていいのだと思うとレオンを堪らない気持ちにさせた。
「クリス…って何歳?」
「今更そんなことが気になるのか?」
「いや…なんとなく」
クリスは微笑んでいる。これから犯される相手に跨がれているというのに、不釣り合いな優しい顔で。
「お前より20は上だ…そんな男を抱こうっていうんだから、お前も大概酔狂だよ、レオン」
レオンは答えずにクリスにキスをした。舌を差し込んで貪るような口づけをすると、クリスもそれに応える。まるで恋人のような優しいキスだった。
キスをしながら、レオンの手はクリスの逞しい胸を揉んでいた。手に余る重量をもったそれは女の胸とは違うが、力の抜けた筋肉は存外柔らかい。しかし中心にある小さな突起だけが少しずつ硬くなるのがどうにも淫らだった。
唇を離すと、今度は首筋から鎖骨へと舌を這わせてその胸元へとたどり着く。まだ柔らかな色をしたその小さな突起を舐めて指でこねる。
クリスは胸への刺激に小さく息を吐きながら耐えている。しかし段々と呼吸は荒くなり、硬くなり始めたものがレオンの腹に当たるのがわかる。レオンはその熱を握り込むと上下に擦った。
少し手を動かすだけで、それはみるみる硬度を増していく。やがて完全に勃ち上がると、先走りがとろりとこぼれた。
それを指に絡めると、今度は奥まった場所へ手を伸ばす。軽く表面を撫でてからゆっくりと指を侵入させる。
クリスは耐えるように眉根を寄せて、顔をそらせている。その表情が悩ましくも艶やかで、レオンはぞくりとする感覚に襲われた。もっと乱れさせたい。そんな欲望に駆られながら指を動かすと、わずかにそこは柔らかく解れていく。
レオンはズボンの前をくつろげると、痛いぐらいに張り詰めた自身を取り出した。すぐにでも突き入れたい欲求に耐えて、クリスのペニスに擦り合わせると、一緒に握り込む。
手の中で上下に擦ると、お互いの熱が伝わり合う。どちらが熱いのか分からない。
クリスの体が跳ねる。レオンの手の中で、それはビクビクと脈打っている。
「うっ……んん……」
レオンが胸の突起を吸い上げると、クリスはたまらず声を上げた。その声がもっと聞きたくて執拗に愛撫を続ける。
「やらしいな……乳首、そんなに良い?」
「お前が……しつこくいじるから……」
赤く充血して赤くなった乳首を満足げに眺めて、レオンはまたそれを口に含んだ。舌と唇で転がし、軽く歯を立てると、その度にクリスは声を上げながら体を揺らし、レオンの気分を良くさせた。
「レオン、もういい……それ以上したら……」
クリスの言葉を無視してレオンはなおも続ける。するとクリスの足が痙攣するように震えてピンと伸びた。絶頂が近いのだと知ると、レオンは舌で愛撫を続けながら同時に手の動きを早めた。
「っ!」
クリスが声を押し殺して果てると、互いの腹に生温かいものがかかった。レオンは自分の指に垂れた粘性のある液体をこれ見よがしに舐めて見せた。
「濃いな…溜まってた?」
「うるさい……」
クリスは顔を逸らして恥ずかしそうに答える。その様子が可愛らしいのと、想像とは裏腹に本当に“ご無沙汰”だったらしい様子に気をよくして、レオンはそっと耳元で囁いた。
「俺も限界なんだけど、挿れてもいい?」
そう言って硬くなったものを押し付ける。クリスは黙って小さく頷いた。
「痛かったら言って」
ローションを絡めた指を奥へと滑らせる。事前に刺激していたそこは吐精の余韻に柔らかく引くつき、レオンの指先を再び受け入れた。ゆっくりと中を探るように動かした後で引き抜くと、もう一度ローションを足す。
「痛くないか?」
「大丈夫だ……」
クリスは眉間に皺を寄せて異物感に耐えているようだった。いつも見かけていた、普段の厳しい顔を知っているからこそそれが妙に可哀想に見えて、レオンは何度もキスをして気を紛らわせた。怯えるようにすぼまったそこが指に馴染んできたのを確かめると、指を増やして中を丹念に解していく。指を出し入れする度にくちゅくちゅと濡れた音がして、それがレオンをなおさら欲情させた。
「そろそろいいかな……もう限界なんだけど……いいよな」
実際、限界だった。平静を装うのに必死で妙に喋りすぎてしまうぐらいには。
指を引き抜くとレオンはいきり立った自身にゴムを被せ、そこに押し当てた。
少し力を込めると、少しずつ先端が飲み込まれていくのが分かる。そのままゆっくりと挿入する。中は狭くきついが、それでもしっかりと食いついてくる肉壁にすぐにでも達してしまいそうだ。
なんとか根元まで収めると、ようやく一呼吸つくことができた。これからもっと激しく動くことになるだろうと思うとますます興奮した。
レオンはクリスの脚を肩に担ぎ上げると、さらに腰を密着させ、そして少しずつ抽送を始める。
最初は緩やかに、しかし徐々に激しくなるピストン運動にクリスは苦悶の表情を浮かべている。それも抽挿に合わせて前も一緒に刺激してやると、次第に快楽の色を帯びていくのが分かる。
「あ…クリス、いく…っ!」
やがて限界を迎えたレオンが果てると、それに誘われるようにクリスの中もうねった。
2人は荒い呼吸のまましばらく抱き合っていた。少し汗ばんだ肌がぴったりとくっついて心地いい。
クリスの中に入ったまま、またキスを交わす。今度は軽く舌を絡ませるだけのキスだ。
そしてレオンはまた動き始めた。
クリスが辛いだろう事は分かっているのだが、もっとクリスの中にいたかったし、あの快楽をもう一度味わいたかった。
クリスは文句は言わず、困ったように少し笑ってレオンを抱き寄せた。
「若いな……」
そう言われて、レオンは気恥ずかしさに顔に熱が集まったが、それでもクリスの体を貪り続ける。
「クリス……クリス……」
名前を呼びながらレオンはひたすらに腰を打ちつける。先程より激しい動きに、クリスはまた苦しげな表情を浮かべる。しかしそれでも彼はレオンの体にしっかりと抱きついている。縋りつかれているようでますますレオンを増長させた。
レオンが二度目の絶頂を迎えると、ようやくクリスの中から自身を引き抜いた。その後を追うように、泡立ったローションが流れ落ちる。それを満足げに眺めながら、レオンはクリスの上に半身を預けて横たわった。
クリスは必死で息を整えるように浅く呼吸しながらぐったりとベッドに沈んでいる。もう終わったのだと安堵しているのだろう。しかしその様子にレオンはまだ自分の中にいる欲望が力を取り戻すのを感じていた。レオンはクリスの体をうつ伏せにすると、半ば無理やり腰を抱き尻を突き出させた。
「レオン!?」
驚くクリスの声を無視して、レオンは再び彼を貫いた。
今度は後ろからだ。先ほどとは違う角度で当たるせいか、クリスはまた体を震わせている。そしてそのまま激しくピストンを始めると、クリスはシーツを掴みながら大きく喘いだ。
レオンはゴムを付け直すことも放棄して、慣れさせらたそこに再びローションを足し、より一層滑りがよくなる。肌を打つ音に水っぽい音が混じり、耳を刺激されたレオンをより荒々しくさせた。
「レオン……もう……!」
「まだだ、クリス」
レオンはクリスの首筋を舐めると、強く歯を立てた。痛みにクリスは小さく悲鳴を上げたが、それがむしろ快楽を受けているようにレオンには映り、競り上がる欲情に小さく呻いていていた。
そのまま何度も腰を打ち付けては引き抜き、また打ちつける。やがて限界を迎えたレオンが再び達すると、それを追いかけるようにクリスも果てた。3度目の絶頂でクリスの意識は朦朧としていた。彼がベッドに崩れ落ちるのを見て、レオンはやっと満足できた。
クリスの中からずるりと自分のものを引き抜くと、その感覚にまたクリスの体が震えた。
「レオン……」
名前を呼びながら力なく横たわる姿を見ていると、まるで自分が彼を征服したかのようで心地いい。レオンはそっと覆い被さると優しくキスをした。
「疲れた……」
キスを受けるのもそこそこに溢れる正直なクリスの呟きに、レオンは思わず吹き出した。
「ムードも何もないね」
どうしようもなく愛しくて、そっと彼の頭を撫でてみた。短く整えられたブルネットを近くで見ると、わずかに白いもが混じっている。
「寝るのか?」
「あぁ……」
クリスが目を閉じると、それほど間をおかずに寝息が聞こえてきた。
改めてクリスの顔を眺める。目の下に浮かんだ年季の入っていそうな隈が、彼の普段の生活を垣間見せた。
起きた時、彼はどのような顔を見せるだろうか。また、あの掴みどころのない微笑で交わされるのだろうか。どさくさに紛れて中で出したことは怒られるだろうか?それもいい。もっとクリスの感情が見たい。なんでもいいから、これっきりにはさせたくはない。
レオンはベッドサイドの明かりを消すと、部屋の明かりを消してクリスの隣に潜り込んだ。まるで恋人のように寄り添って、レオンも眠ることにした。
彼とこうできるのは自分だけだと思い込めれば、まだしばらくは甘い夢が見れそうだ。
願わくば、この夜が明けるまで。