Mavericks

こちら のハロウィン絵を元にした吸血鬼パロ設定です。
 
日が暮れる。
肌に当たるひんやりとした夜風を感じてクリスは、顔を隠すように被っていた外套のフードを脱いだ。
郊外からさらに外れた森の中、かつては教会だったであろう崩れかけた建物を前に、所在なさげに立ちすくんでいた。
朽ち果てた祠の名残を見つめて、小さくため息をつく。それは、目指してきた目的地に、期待していたものはすでに無いことを物語っている。
かすかな噂話にはなから期待はしていなかったが、もしかしたらという気持ちもあった。
人間の測る歳月はとても早く過ぎさってしまう。自分にとっては「少し前の話」でも、人間にとっては「大昔」だ。仕方がない。
それでも名残惜しく今は無き祭壇へと歩みを進めると、放置されてもうかなりの年月が経っているだろうに、わずかに成聖の恩寵が残っているのが感じられた。思っているほど古くはないのか、それともよほど神聖な性質を持つ司祭か誰かが滞在していたのか。
…どちらにせよ、一足遅かったな。
残念ではあるが、諦めるのには慣れている。なにせ、もう何十年も同じようなことを繰り返しているのだから。
さて、ここに用はないと分かればさっさと森を出るべきなのだが、少々困ったことになった。
思いの外長旅になってしまったため、想定外の空腹を持て余し、クリスは途方に暮れていた。
クリスは所謂、吸血鬼だ。即ち、空腹とは人の生き血を欲している状態である。
もう随分と長く生きてきて、自身の性質ともうまく折り合いをつけれるようにもなってはいるが、このまま体力を消耗している状態で人里へ降りれば万が一、本能に負けて厄介なことを仕出かす可能性も否めない。
森を出る前に、適当な動物の血ででも渇きを誤魔化すか。…あまり気は進まないが。
日が沈む。暗闇は吸血鬼にとって何の問題もなく、むしろ昼間より動きやすいのだが、生き物を狩るという行為は、いつもクリスを憂鬱にさせる。
朽ちた教会の門をくぐり出るとふいに、風のない木立で草木の揺れる気配があった。
じっと立ち止まり様子をうかがう
近付いてくる気配に、クリスは身構えた。徐々に血の匂いが濃くなっていく。血?
人だ。
実際に血の匂いがしているわけではない。飢えた吸血鬼の性が、獲物の気配を嗅ぎ分けているのだ。
まずいな。思いのほか限界がきていたようだ。
いま人間の近くに寄れば思わず飛びかかってしまうかもしれない。
そう思いつつもクリスの足は、縫い付けられたようにそこから動けない。
木立の影から姿を表したのは、男だった。
こんな夜の森の中で、クリスの姿を見止めても驚くことなく、おい、と少しぶっきらぼうな語調で声をかけてきた。
「あんた、こんな暗くなるまでここで何してる?」
早く森を出ろ。狼が出るぞ。
言いながら、物怖じしない足取りでこちらへ近付いてくる。
「あ、ああ…すまない。君は麓の町の人間か?」
健康的な、若い男だ。
吸血鬼にとっては恰好の餌食の出現に、クリスは正気を保とうと言葉を紡ぐ。
「まぁ…そうだ。夕方森に入った旅人はあんただな?道を聞いて回ってたろ。」
そういえば森に入ることを町の人間に知られていた。訪ねたことにも快く応えてくれた気のいい連中だったが、どうやら、親切心で人を寄越したらしい。深く考えず軽率なことをした。
「それは、ありがたいが、俺は大丈夫だから…」
「大丈夫ったって、あんた、知らない夜の森でひとりでどうするって言うんだ」
手ぶらで帰っちゃ俺が文句を言われる。と、不本意そうではあるが意外と忍耐強くクリスを諭す男だが、そう言う彼こそ灯りひとつ持っておらず、にも関わらず迷いのない足取りにクリスはやっと違和感を覚えた。
「さあ、ほら、こんなところにいても、しょうがないだろ」
濃い、血の匂いがする。
おかしい。普通の人間から、怪我もしてないのに、こんな、
「探し物があるなら日が登ってからにしろ」
あと一歩のところまで近づいた時、何かに躓いたようにクリスは男の方に倒れ込んだ。男は突然のことにぎょっとしつつも、クリスより幾分か細身の体にしては存外力強く、ふらつくことなく大柄な体を支えた。
「ほらみろ。危な」
男の声は、そこで途切れた。
自分ではコントロールできない空腹と、理性を焼き切るような濃い血の匂いに、クリスは本能のまま男の背に腕を回し、その首筋に噛みついていた。
 
 
 
 
自分は眠っていたのだろうか?何時間も寝すぎた時のような鈍い頭痛を感じながらクリスは目を開けた。
意識がはっきりするにつれ、覚えのある、だがもう何百年も訪れていなかった、体が生命力に満ち溢れているあの感覚をクリスは確かに感じていた。
まさか、俺は…。
あわてて身を起こし、あたりを見回した。そこは寝室で、自分はいつのまにかちゃんとベッドに横たわっていた。全く記憶にない部屋のベッドにだ。
窓にはカーテンが引かれており、薄く透ける光に今が昼間だということが分かる。
必死で意識を失う前の記憶を手繰り寄せる。たしかに、あの時森で出会った男に自制心を失い牙を立てたことは覚えている。口の中で、ぷつりと張りのある皮膚を歯が破る感触を思い出してクリスは身震いした。
とにかく状況を整理しないといけない。ベッドから降りようとして、自分が衣服を纏って居ないことに今になって気がついた。
驚いてシーツをたぐりよせ服を探そうとしかけたところで、ギイ、と建て付けの悪い音と共に部屋の扉が開いた。
「あ、起きたのか」
クリスは目を見張った。ドアを開けて飄々とした佇まいで入ってきたのは、確かに森で自分が襲いかかったあの男だ。
「意識はしっかりしてるか?また、さっきみたいに飛びかかられたら困る」
やはり、自分が男に襲いかかったのは確かなようだ。だが、彼は怪我をしているようには見えず、何事もなかったように健康体だ。意識を飛ばすほどの飢えで吸血したのなら、人間はただではすまないはず。
人間なら。
「君は、誰だ…?」
なんとか発することのできたクリスの言葉に、男は少し目を見開き、ひとつため息をつくと、クリスのうずくまるベッドに腰掛けた。
「俺の名前を聞いているのか?それとも、俺が”何か”を知りたいのか」
もっとも、それを聞きたいのは俺のほうだと思うんだが。
森で会った時より、いくぶん親しげに男は苦笑した。そういえば、何か、さっきから距離が近いような。
「それより、俺をこうした責任はとってくれないのか?」
「はっ!?」
男は、薄いシーツが辛うじて腰に引っかかっているだけのクリスの、むき出しの太ももに手を置いてにじり寄った。
そうしてもう片方の手で自身のシャツの襟を引っ張り首筋を露わにすると、そこにはくっきりと、今にも血が滲みそうな新しい二つの穴が空いているのが見て取れた。
「お前に”アレ”をされてから、体が変だ」
クリスの顔がさっと青ざめた。吸血鬼が獲物の血を吸う時、その唾液が傷口から入ると獲物は麻痺に近い状態に陥る。それはただの毒ではなく、性的な快感を引き起こすのだ。吸血の最中に獲物の抵抗を無くすとともに、快楽で魅了することで自分に従わせるための作用であるらしい。ただクリスは”それ”を積極的に行おうとすることがこれまでほぼ無かったので、その扱いに関しては己のことながらも無知に等しかった。
「血はたっぷりくれてやっただろう?」
男は唖然としたクリスの耳元に口を寄せ、吐息を吹き込むように囁いた。
「わかった!悪かったから!許してくれ!」
焦ったクリスが制止の声を上げると、声の大きさに男は驚いてびくりと肩を揺らした。
「いや、ちょっとからかっただけだよ…」そこまで嫌がられるとなんか傷つくぞ。と、ぶつぶつ言いながらも男は案外すんなりと身を引く。
「それで?俺は襲われたにも関わらず気を失ったあんたをここまで運んで、ベッドも明け渡したわけだが、できればそちらから名乗ってもらえるとありがたいかな」
足を触っていた手を離し、ちゃかすようにクリスの肩を小突く。その様子にクリスは幾分か落ち着きを取り戻した。
「すまなかった。俺はクリス・レッドフィールドと言う。もうわかっているだろうが、俺は吸血鬼だ。君にしたことも朧げだが覚えている。そのことも謝りたい。だが、俺に噛まれて何ともない君は、」いったい何者なのか。
「クリス、クリスね。俺はレオン、俺は…、そうだな、見せた方が早いか」
そういって立ち上がったレオンは、シャツを脱いでクリスの前に立った。クリスはやはり自分のつけた噛み傷が気になって、その肩口を見た。と、不思議なことに、みるみるうちにその肩が灰茶色の体毛に覆われていく。
肩だけではない。腕、胸元なら背中までそれは広がり、髪を掻き分けるように同じ色の大きな獣の耳が現れ、顔の中心が犬のマズルように伸びて行く…
瞬く間にそこには、元のレオンの体格より幾周りか大きい、二本足で立つ狼が現れた。
「見ての通り、ウェアウルフってやつだ」
狼は、レオンの声でそう言った。
ウェアウルフ。長く生きてきたクリスにも知識はある。彼らは身体能力に富み、生命力も強く、あらゆる疾病に耐性を持つ。彼らもまた、自分と同じく古くから忌まれ恐れられる存在であり、まだ未熟な者や、遺伝ではなくその血から感染した類の突然変異体の中には己の力を制御できない者もいるため、たいがいがコミュニティをつくり互いの監視と協力のもとに生活していると聞いた。
だが、この町は特にそれといった特徴もない普通の人間達の集まりだ。独りで人間の集落に混じり暮らす者は、クリスが見聞きした中では初めてであった。
「驚いたな…」
「俺だって驚いたよ。まさか吸血鬼に襲われるなんてな。お前、だいぶ血に飢えていただろう。流石の俺でも貧血気味だ。引き離したら急にぶっ倒れるし」
そうしてるうちに伸びた体毛がするすると短くなり、顔つきも人のものに戻る。大きな耳と肩口の鬣はそのままに、いわゆる半獣の姿になった。人里で生活をしているくらいだ、その力も上手く扱えるのだろう。
「本当に、すまない。その通りだ。いつもはもう少し上手くやってるんだが…」
あの濃厚な、生命力に満ちた血の匂いをクリスは思い出した。
倒れたのは恐らく、極度の空腹時にいきなりたくさん物を食べた時のような、ショック状態によるものだろう。
「確かに、あまり人を襲うとか、そういうの得意じゃなさそうだよな、お前は」
申し訳なさそうに大きな体を縮こませているクリスをおもしろそうに眺めながらレオンが言う。
「一体、何日ぶりの血だったんだ?」
「えーと…何日というか…何年というか…」
「は?」
「…あんまり、気が進むものじゃないから、できるだけ避けていて…」
「いや…気が進むとか進まないとかの問題か?お前それで今まで大丈夫だったのか」
倒れたのもそれでか…。レオンは何か呆れたような、関心したような、とにかく不思議な物を見る目であいかわらずしげしげとクリスを見て居る。
「え、ええと、あっ、俺の、服は?」
レオンの視線に、流石に裸のままでは居心地の悪さに耐えられなくなり、シーツを体の前で抱くようにぎゅっと握りしめる。
「ベッドに寝かすには汚れてたからな。俺の服は入りそうになかったし。乾くまでもう少し我慢してくれ」
それに…
レオンは、あらためてクリスに視線を合わせ、さっきのはいい提案だったかもな、とつぶやいた。
「え?なんだって?」
「次にまた腹が減ったら、俺の血をやってもいい」
そのかわり。
半獣の、大きな手がクリスの無防備な体に伸びる。そうして呆気にとられているうちに、クリスの背はベッドに逆戻りした。
「身を削るんだ。なにか、報酬がないとな」
クリスの裸の胸に、狼の鬣が触れる。急激に詰められた距離に驚いて起き上がろうとしたクリスだったが、レオンにのし掛かられた体はびくともしない。
「は、離してくれ…」
「悪くない提案だと思わないか?」
シーツ1枚を隔てただけのクリスの股間をレオンの膝が押し上げる。
突然の刺激にびくりと身を戦慄かせたクリスの、陽に当たることのない白い肌がさっと朱に染まった。
「へぇ…可愛い反応するんだな」
クックッと楽しそうに笑うレオンに焦ったクリスは身をよじらすが、狼男の腕力の前には微々たる抵抗にしかならないその仕草もまた、男を喜ばせるだけだ。
「なあ、なにも、ひどいことをしようってわけじゃない…」
「あ…」
耳に吹き込まれる声に背筋を駆け上がるものがある。実はクリスもまた、久方ぶりの吸血に、しかも生命力に溢れる獣の血を体内に巡らせ、その高ぶりを無視できずにいた。
「お互い様だ。だろ?」
レオンの吐息がクリスを舐る。
合わせた唇は一瞬だけきつく結ばれたが、レオンの舌が何往復かなぞるとすぐに解けた。
いつの間にか押さえるのを止め人のものに戻ったレオンの手が、胸元をすべっても抵抗はない。手のひらに吸い付くひんやりとした肌を持つクリスの、口の内だけがひどく熱い。
「んぁ…っ」
レオンの指が柔らかい突起をひっかくと、合わせた唇から甘やかな声が漏れ、クリスは腰を捩った。シーツ越しの反応を誤魔化せるはずもなく、気を良くしたレオンは喉の奥でククッと笑い、硬くなった股間をクリスのそれに擦り付けてやった。
「男は趣味じゃないと思ってたが…不思議だな。あんた、すごく唆る…」
吸血鬼の魅了ってやつか?まあ、なんでもいいけど。
手で、舌で、敏感なところを責め立てられて、せめてあられもない声を上げるまいと必死に快感をやり過ごそうと無駄な抵抗を試みるクリスは、息の荒くなったレオンの言葉の意味を理解する余裕もなくぎゅっと目を瞑っていた。
 
 
 
 
 
「思い出した。聖堂だ」
枕に頰の片側を埋めてうつ伏せになって居る、おそらく羞恥心から顔を背けたままのクリスを振り向かせるのを諦めて、レオンが言った。丸い後頭部に唇を押し当てたまましゃべったのがくすぐったかったのか、クリスがぴくり、と反応した。
先ほどまでの熱に浮かされるような心地が冷静になって、体の奥をいいように暴かれ自分でもかなり乱れてしまった自覚があるのだろう。拗ねたように頑なに顔を見せようとしないクリスが可愛くてもう少しからかってやりたい気もあるが、あまり嫌われるのも本意ではない。レオンはなるべく平素に近い語調で話しかけた。
ただし、その見事に引き締まった腹に後ろからしっかりと腕を回したままではあるが。
「森の、あの場所。昔は聖堂があったんだと。俺がここに来た頃にはとっくに取り壊されたあとだったが。お前、それを探していたんじゃないか?」
どうして吸血鬼のお前が、そんなものを探していたが知らないが…。
すっかり人の姿に戻ったレオンは、クリスの背中でまどろみながら、言葉を並べ立てるが頭の中は、このまったく”らしくない”吸血鬼の男への興味でいっぱいだった。
そして、まだ羞恥に耳を赤らめながらもクリスは、途端に馴れ馴れしくなったレオンの仕草に諦めて口を開いた。
「…人間に戻る方法を、探して居るんだ」
そういうことに精通している僧侶がいるらしいことを噂に聞いて、ここにきた。
こちらを見ないまま、答えたクリスの言葉に、レオンは少しばかり驚いた。
「お前、純血か」
吸血鬼に噛まれて吸血鬼となった人間は、まず人間に戻る術はない。人を吸血鬼にする能力もないし、血を媒介した主が死ねば己も死ぬ。だからたいがいの者は主の下僕となり、その庇護のもと暮らすか、主を守護して過ごす者が多い。自分の命を守るために。
純血は違う。彼らも元は人間だったが、太古の悪魔との契約だか、儀式だかにより人間であることを捨て、代わりに強大な力を手に入れた一族だという。
まだ狼仲間の集落で暮らしていた時、お伽話に聞いたことがある。力を望んだ者たちにとってそれは恩寵だったが、その子孫たち、望まざると与えられた者には呪いのようだと、子供の頃は思ったものだ。
「俺の、じいさんかそのじいさんが、始祖の吸血鬼だ。だがもう、どうしてそうなったかも忘れた。…俺独りになって、随分長いから」
「…お前、歳は幾つだ?」
「さあ、400と幾つか…正確には数えてないが」
よんひゃく…とレオンは無意識に口にした。ウェアウルフも長寿だが、吸血鬼ほどじゃない。200年がせいぜいだ。中でもレオンはまだ歳若い。
「まいったな、俺より300歳以上年上だ」
そしてそんな、クリスから見たらまだ年端もいかない己なんかに、いいようにされているこいつは、よくいままで独りでやってこれたものだと変な感心をしてしまった。
屈強だが不思議な艶かしさを纏った身体。吸血鬼と言えば何処か儚げなイメージがあるが元々はほかの種族を従えるべく生まれた強い生き物だ。
そんなに長く生きて居るなら、これまでに関係した男なり女なりいそうなものだったが、レオンはそれを聞きたいくせに、聞きたくなかった。らしくなく、怖かったのだ。
(これは思いの外、ハマってしまったかもしれない)
奇妙な嫉妬心がレオンの心の奥で生まれた。それを向ける相手もよく知らないうちから。
そんなレオンの心中など思いもよらないクリスは、ぽつりぽつりと話し始めた。
「俺は別に、この力でやりたいこともないし、人間を犠牲にしてまで維持したいとも思わない。ただ死ぬ理由もないまま生きてきて、もう疲れたんだ」
「…人間になって、死にたい、とか?」
「考えたことはある…ただ、死ぬだけなら他にも方法はあるしな」
「じゃあ、今は違うのか?」
「ひとり、同族に変えてしまった子供がいて…事故で死にかけていて、俺にはそうするしか助ける方法がなかったんだ。今思えば、そんなことするべきじゃあなかった。人として、限りのある人生を全うするほうがずっと良い…。まあ、それで、嘘か本当か解らない噂話を頼りに、あちこち探し回っている」
「ちょっと待て」
レオンはおもわず起き上がった。
吸血鬼になった人が人間に戻る方法はないとされている。あるとすれば、元となった主が「呪い」から解放されて、人間に戻れば…可能性はある。
ということは、クリスは、その子どもを人間に戻すために、あてもなく旅を?
「その子のために人を襲わず、血も飲まずで?」
「いや、人を襲うのは元々好きじゃないから、今までとそう変わりはないが」
あの子には人として生きていて欲しい。俺のようにただ、永遠に彷徨うんではなく。
「だから、あの子が居る限りは俺はおちおち死んでられない。…でも、不謹慎かもしないが少し…嬉しいんだ。生きがいみたいなものが初めてできた」
そう言って、少し笑ったようだった。
クリスが自分の身の上をレオンに語ったのは、レオンに対して気を許し始めた現れであったが、対するレオンはその話を聞かされて、これっぽっちも面白くなかった。
このどこか抜けた吸血鬼には随分と大切にしている子供がいて、その子のためなら、生きるために血と引き換えに見知らぬ狼男と寝ることも、些細な問題なのだ。
「で、次のあてはあるのか?」
レオンの問いを聞いて、クリスはやっとおずおずと振り向いた。
「いいや、でも、そろそろ一度戻らないと。あの子にも随分と帰りを待たせている」
「そうか、すぐに発つか?俺はいつでも構わない」
「え?」
だから服を…ともう一度言いかけたクリスの言葉を、レオンが遮った。
「別にこの住処にこだわりはないんだ。住み心地は悪くないからしばらく留まっていたが、顔なじみも増えてきてそろそろ煩わしくなってきたしな…」
ウェアウルフは年をとるスピードも人とは違う。あまり長く同じコミュニティに留まっていると、不振に思う人間も出てくるだろう。
「言っただろ。俺の血をやるって約束だ」
その子供のためにも、必要なんだろう?
ほんの半日前に出会ったばかりの、まだどこか得体の知れない狼男の提案に、とっさに断ろうとしていたクリスだったが、レオンの言う通り、まず自分の状態を万全に整えておくことは、これからの目的のためには願ってもないことであった。
帰りを待っているあの子にも長い間、随分と心配をかけてしまっている。
結局、その申し出に、不安げだが頷くクリスの、胸のあたりを指先でなぞりながらレオンは狼の目で笑った。
「気に病むことはない。報酬はもらうんだからな」
 
 
 
 
狼は序列を伴った群で生活する。トップのつがいをリーダーとして、その下に十数頭を従えコミュニティを形成する。リーダー争いに破れたオスは群を出て単独で行動するが、大概はいずれ己の群れを形成する。
ウェアウルフの集落もおおよそその習性に近いものだった。レオンが生まれついたのも今はもう少なくなった仲間の集落のひとつだ。
けれどもレオンは、そこにおけるしきたりも、そのしきたりの中で抑制されたリーダー争いも、群にいれば発生するありとあらゆるしがらみを嫌った。というより、はなから興味をもてずにいた。
持ち物は少なく、常に身軽でいたがった。
群れを離れ、きままな一匹狼の生活は性に合っていた。場所にもよるが、そこそこの大きさのある町での人間の暮らしは楽だった。人並み外れた身体能力を活かせば仕事に困ることもなく、元来器用な性質のレオンはすぐに人間の群れの中になじむことができた。付かず離れず、適当に愛想よくそれなりの距離を保って付き合っていれば、町での暮らしは便利で気楽なものだった。
人間に比べて長寿なウェアウルフだが、中でも青年期が長い。退屈を覚えないこともなかったが、吸血鬼ほどの途方もない寿命もないし、特別人を食わずとも生きていける。レオンは特に人生に思い悩むような性格でもなく、クリスのような、”生きるべきか死ぬべきか”の苦悩などとは無縁だった。
それにまだレオンは、人間の姿での見た目とさほど変わらぬ年月しか生きてはいない。その(ウェアウルフの寿命から見れば)短い時間の中で、運命を変えるような出来事も、出会いも、まだ身に覚えはなかった。
そんなレオンの気楽な日々の中で、これほどまでに興味を掻き立て、交換条件なぞ突きつけてまで離し難いと強く思った人物は、このクリスという一風変わった吸血鬼が初めてであった。
そして、そんな相手に、既に自分よりも影響を与える大切な存在がいると聞いて、おとなしく引き下がるような性格でもなかった。
 
 
 
 
立派ではあるが古ぼけた、人の子が見れば幽霊屋敷と揶揄されそうな洋館の玄関の前で、レオンは呆気にとられていた。
「旦那様、ウチは犬を飼うような余裕はありませんので、申し訳ありませんが、元いた所へ返してきてください。」
クリスのノックに応じて重そうなドアを開けたのは、クラシックなシャツとベスト姿の、活発そうな短髪の青年だった。年の頃なら24、5ぐらいだろうか。
慣れた様子でクリスを迎え入れようとしたがその少し後ろに立つレオンを見咎め、あからさまな嫌悪の視線をじろりと寄越している。
「…子供?」
レオンはおもわず青年を指差し、クリスに問いかけた。
クリスが「あの子」なんて言うから、せいぜい10歳前後の少年か少女を想像していたのだが…
「だれが子供だ!俺はあんたより年上だし、そもそもこの見た目は26の時のだぞ!」
レオンの言葉を聞いてそう憤慨する青年に驚きながら、クリスは首をかしげて、
「子供だろう?」と呟いた。
「旦那様!」
子供扱いしないでくださいって、俺さんざん言ってますよね!
「わかった、わかった。すまない、つい、な?」
と、あしらう様子は言葉とは裏腹に明らかに聞き分けのない子供に対するそれだ。
「ともかくピアーズ、失礼なことを言っちゃいけない。こっちはレオン。俺を助けてくれたんだよ。レオン、ピアーズだ。俺の…たった一人の家族、だ」
そう紹介するクリスは満更でもなさそうで、さらに初対面で犬呼ばわりされてはレオンのピアーズに対する第一印象は最悪だ。
「血の匂いで解ります。ウェアウルフでしょう。旦那様に取り入って、目的はなんだ」
「ピアーズ!取り入るだなんて…、というかお前、解るのか?」
まあ、うまく取り入ったことに間違いはない。それにしても主人であるクリスよりよほどしっかりと己が立場に馴染んで居そうだとレオンは感心した。というより、クリスがよっぽど抜けているのか…。
「ともかく!ずる賢い狼なんてクリスの手には余ります!」と言い張るピアーズの主張も、煩わしいがその通りだなとレオンは呑気に思っていた。
「あー、ピアーズ、くん?悪いが、君の主人と俺とは取引が成立してるんだ。従者が口を出すことじゃないと思うが?」
「馴れ馴れしく呼ばないで頂きたいね」
そもそも、何の取引をしたって言うんです、と尋ねるピアーズに、一瞬でクリスの顔に血が巡り、その主人の反応を受け、はっとしたこの聡い従者の顔からは逆に、一気に血の気が引いた。
「まさか、」
「単純なことだよ。俺がこいつの“餌”になってやる変わりに、俺もこいつを“喰う”…
ってとこかな。フェアな取引だろ?」
半月のように目を細めて笑うレオンに、ピアーズの顔はみるみるうちに険しさを増しざっとクリスの前に立ちはだかった。
 

 
「駄目です!クリス!血なら俺のをあげますから!いくらでも!!」
「同族の血は効率が悪いのは、お前も知ってるだろう?それに、食糧の問題がなくなれば、ずっと動きやすくなる。いずれ血の問題も…」
「俺は別に、人間に戻りたくなんかないって言ってるでしょう?俺は、クリスと二人でずっと生きていけるなら、それでいい!」
それがいいんです!と食ってかかられて、困惑するクリスの表情に少し悲しそうな色を見て取り、レオンはまあまあ、と手をあげて諭す仕草をし、
「従者なら、主人の気持ちを汲んでやる努力をしてもいいんじゃないか?俺は協力するよ、クリス。」
人間とのやりとりが必要なら、俺は慣れてるしな、と、優しげな表情でクリスを見た。
「レオン…ありがとう」
ほっとした顔をして、「ちょっと!まだ認めてませんからね!」と憤るピアーズを押しとどめながらどうぞと中へとレオンを促す仕草をして先に屋敷に入って行った。
まったく、食物連鎖の頂点にすら立てる純血の吸血鬼が、どうして何百年もの間、こんなにも純粋培養のまま生きてこれたのか。
主人の支持にこれ以上反抗する訳にもいかず、だがまだ納得のいかない顔で立ちすくむピアーズを押し避け、
「俺が死んだあとにお前があの人を独り占めなんて、許せないからな」
すれ違う瞬間ピアーズにしか聞き取れぬ声量で耳打ちしたレオンに、ピアーズは再び激昂した。
「旦那様!クリス!早くこいつ追い出しましょう!!」
当のクリスはピアーズの怒号を後ろに聞きながら、寂しい夜を何千回も繰り返してきたこの家が随分賑やかになったもんだな、と呑気に喜んでいた。
 

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