本当に、このままでいいのかと、バリーは問うた。応えなど解りきっていたが、問わずにはいられなかった。
いいんだ、とクリスは言った。悲観するでも、自虐するでもない、自然な口ぶりに聞こえる。
バリーは複雑な心境のまま、物資を積み込んだバンのドアを勢いよく音を立てて閉めた。
運転席に乗り込むクリスを見送りに立ちながら、まだなにか言いたげな様子の旧友にクリスは静かに微笑んだ。
「バリー、俺は大丈夫だ。無理をしてるわけじゃない。解るだろ?」
バリーは頷いた。
頷いたけれども、本当に解っているとは言い難い。かつての部下の決死の献身に報いようとするクリスの覚悟を理解しているはずであったが、この歪な二人の日々が、このまま平穏に終わるとは思えなかった。
「できる限りの・・・手助けはする」
それでも、祈っている。過酷な運命を背負った若者達が、これ以上苦しまなくて済むように。
ありがとう、とクリスは言う。あの跳ねっ返りの若造が、いつの間にこんな落ち着いた声色を出すようになったのだろう。
今はもう遠い日々に、まだ何も知らず正義感に輝いていた瞳が、今は風の凪いだ湖のように静かな色を湛えている。その様をただ見守ることしかできない。
今日のうちに用を済ましてしまおうと右往左往しているうちにすっかり夜になってしまった。さほど興味のないラジオを何とは無しに聞き流しながらクリスはハンドルを握り帰路につく。いくつか町を過ぎ、ぽつぽつと点在する民家もだんだんと見えなくなってからもまだ続く、長い帰路だ。途中仮眠をとり目を覚すと、モバイルがメッセージを受信して光っていた。いくつか届いているメールの差出人は昨日、今日の間に会った人物ばかりだ。おそらく己を案ずる内容であろうそれらをクリスは一つも開くことなく通知画面を閉じると、再び運転に戻る。
やがてうっすらと向こうの空が白み始めたころ、ようやく「家」に帰り着いた。
重く建て付けの悪い玄関のドアは、眠っている者を起こさぬようにゆっくりと開けられるのにも構わずギシギシと鳴いた。
車に積み込んでいた荷物を下ろし、運び入れていると、奥からぱたりぱたりと不規則な足音が近づいてくる。
明かりのないまだ薄暗い部屋のすみに、ぼんやりと光がさした。
「…すまない、起こしてしまったか?」
小さく、しかし静かな早朝の空気によく響く低い声で呼びかける。「ピアーズ」
瞬間、足音の主が転がる用に懐に飛び込んできて、それを受け止めたクリスごと床に倒れ込んだ。
「ごめんな…でも今回は早く帰ってきただろう?」
怒っているのだろうか、黙ったままぎゅうぎゅうとしがみついてくるピアーズの頭をそっと撫でる。
しがみ付いてくる、腕。ウィルスによって形を変えたピアーズの力は、本気を出せば鍛え上げたクリスの体をやすやすと締め上げられるほどに強い。
圧迫される息苦しさを悟られまいとするクリスが、しかし思わず語尾を震わせて息を吐いたのに気づいてピアーズははっと体を離す。
大丈夫だよ、と気遣わしげに見つめてくる瞳に微笑みかけ、クリスは身を起こした。
「ほら、俺はシャワーを浴びてくるから、朝飯はもうちょっと待ってな」
もう一度ぽんぽんとピアーズの頭を撫でて、バスルームへ向かう。と、ぺたぺたと裸足の足音が、迷子の子供のようにクリスの後に続いた。
「どうした?お前も入るのか?」
冗談めかした様子で笑うクリスに、うん、とピアーズが頷く。
クリスは平静を装った笑顔を作ってはいたが、口の中は緊張で乾いていて、次に出す声が喉に貼り付きそうだった。
「…おいで」
これから起こることを予感しながら、クリスはピアーズに微笑みかけている。
狭い浴室に、降り注ぐ湯の熱気にまぎれてクリスのくぐもった呻き声と、ピアーズの興奮した荒い息遣いがこだましていた。
クリス、クリスと繰り返すピアーズの声は、その激しい行為に反して、子が母親に甘えるような幼さがある。
クリスは己を揺すぶる力に抵抗することはなく、されるがままに貪られていた。できるなら優しく受け入れ返してやりたかったが、そうできるほどクリスとてこの行為に慣れているわけでもなく、そして求めてくるピアーズの、愛撫よりは暴力に近いそれにただただ拒否の姿勢を見せないように耐えるだけでせいいっぱいであった。
「はぅ…っ…」
ずるりと、散々中を穿っていたものが引き抜かれ、クリスは身を震わせた。終わったのだろうかと、脱力し浴室の壁に背中を預けてまだ胸を喘がせているクリスの顔をピアーズが覗き込んでいる。
「クリス、痛い…?」先ほどまでの行為と打って変わって気遣わしげな、まるで叱られることを察した犬のような潤んだ瞳でおろおろと見つめるピアーズに、まだ息の整わぬクリスは曖昧に首を横にふってみせた。が、
「!?おい、ピアー…っ!」
ふと目の前からピアーズの顔が消えたと思うと、座り込むクリスの足の間にもぐりこむように身をかがめ、無茶な行為にじんじんと熱を持ったそこに躊躇いなく口を寄せた。
「やめっ…そんなこと、しなくていい…っ」
あわてて止めようとするが、ピアーズはクリスの顔を上目遣いで一度ちらと見ただけで、構わず舌を這わせている。もどかしいほどに優しく、傷口を舐めて癒すように。
ぞくりと這い上がる感覚にクリスは、強引に犯されている時よりも恐怖した。
敏感になっている場所を柔らかく舌に愛撫され、反応を見せ始めたクリスに気を良くしたピアーズは、たちあがりかけたクリスのぺニスを手で愛撫しながら、夢中に舌を差し入れ、クリスが耳を塞ぎたくなるような水音を立てている。
「あっ、あぁ…っ、そんな…駄目、だ」
今までピアーズとの行為に快感を求めたことはなかったし、得ようとも思わなかったのは、クリスにとって、それはピアーズを満足させるためだけの行為で良いと思っていたからだ。
+メッセージを送る ピアーズを愛していた。弟のように、息子のようにーーそれはクレアを想う愛情にも似ていて、この身を救われてからは敬愛さえも抱いている。だからこそ、性愛とはまったく遠いところにあるものだったのだ。
しかし、ピアーズが求めているのはそういうものではない。根底の部分で2人の想いはすれ違っている。
「クリス、きもちいいの?これ、好き?」
嬉しそうに揶揄するピアーズの無邪気な言葉が、無慈悲にクリスを傷つけていた。
いつもとは打って変わってクリスに快感だけを与えるための愛撫で、自分の腕の中で乱れるクリスを追い上げるピアーズの、欲望に濡れた男の表情を見ていられなくてクリスは固く目を閉じた。
そして、その日初めて彼との行為で吐精した。
バスルームから出てそれから、ピアーズは再び、今度はことさら優しくクリスを抱いた。
クリスのいつもにはない反応に気を良くしたのか、一方的に攻め続けることはなく、抱きしめ、何度もキスをし、クリスの感じる顔を見たがった。
先程まで我が侭な子供のような振る舞いばかりだった男に、大事な恋人に奉仕するようなうやうやしさで扱われてクリスは戸惑い、違和感を拭いきれずにいる。
これは誰なのだろうか。本当にピアーズなのだろうか。いままで共につらい戦いを乗り越えたあの大切な部下は、こうなることを望んでいただろうか。
ずっと疑問に思っていることがある。自分の良く知るピアーズと、今のピアーズは、同一の人格なのだろうか、と。
本来の彼は、もしかしたら、こんなことになる前に己の使命とともに死にたかったのではないかと…。
その考えにゾッとして、思わずクリスはピアーズに抱きついた。
急にすがりつかれたピアーズは、どうしたの、と問いかけつつも、嬉しそうに笑っている。
よく知る部下の顔に、クリスはいくぶんか安堵し、もう後はこの快楽が己の身から早く過ぎ去るのを待った。
そろそろ西日が差し込む時間に差し掛かったが、カーテンが引かれた寝室は薄暗く、長距離運転の後の体を酷使させられてぐったりと睡魔に身をまかせるクリスの横には、ぴったりと身を寄せたピアーズが金色の目をぼんやりと光らせている。
ピアーズはあまり眠らなくても平気らしい。以前そのことを問うと、そもそもそんなに眠くならないことと、眠るとよく見る夢が嫌いだ、という事を教えてくれた。
テレビも娯楽も刺激的なものがなにもないここで、初めは赤子のようだったピアーズがだんだんと成長するように分別をとりもどしていく様を見ていて、もしかしたらこのままもとのピアーズに戻るのではないか、とクリスは淡い期待を抱いていた。そしてこんな行為はその過程のうちの一時のことでしかないとも。もし自分とこんな関係になっていることを元に戻ったピアーズが理解したら後悔するのではないかと。
すべては自分のエゴだ。ピアーズがどうなっても何をしても受け止めようと決心した、そのくせに、自分の愛した部下を取り戻したいと思っているなんて。傍で幸せそうに微笑むピアーズ。お前が望むなら、お前が幸せならそれで良い。でも、こんなことで、これが正しく自分が彼にしてやれるすべてなのか?きっとお前も、元にもどりたいはずなのに・・・
とうとう重い瞼があがらなくなったクリスの額にピアーズがやわらかなキスを落とす。「おやすみ、キャプテン」と、ささやく声を聞いた気がした。
疲れ果てて眠るクリスのほおを、ピアーズがそっと撫でる。
今日のクリスはとても可愛かった。ここしばらく留守にされたことに少しばかり腹を立てていたが、今はとても幸せな気分だ。戸惑う顔も、すがりついてくる弱い力も、咎めてくる声でさえ、すべてが愛おしい。
クリスには黙っていたが、最近よく見る夢はクリスの夢だ。自分はクリスと似た格好をしていて、ふたりで居る時もあったし、他の誰か大勢と居る時もあった。大勢でいる時は、本当は二人だけになりたい気持ちと、それは無理だと諦めた気持ちがない交ぜになった複雑な気持ちになった。
ひとりで、クリスを探している夢も見る。この夢は一番嫌いだ。探しても探してもクリスはいなくて、誰もなにも教えてくれない。まわりがもう諦め始めた雰囲気を醸し出すのにもイライラしたし、決して諦めたくないと思っている自分のほうも気をぬくとそれに感化されそうで、もどかしく、腹立たしく、泣きたくなるほど不安で、絶望的な気分になって、寝起きにもそれを引きずった。
そしてだんだんとわかってきた。あれは、クリスの夢ではない。俺の夢だ。
俺はずっとクリスを探してた。見つけ出して、さらって閉じ込めて、俺だけのものにしたかったんだ。そうやって俺はずっとずっと、クリスを見てきた。もうずっと前から、とても、長い間。
そして、それがようやく叶った。