呼び鈴が鳴っている

夢を見ているような心地でレオンは見慣れない天井をぼんやり眺めている。
冷静に思い返せば、昨夜は大した事をしたわけではなかった。子供みたいなキスをして、一緒に眠った。それだけ。
それだけのことが、何度思い返しても現実味がないぐらい幸福で、クリスのベッドに一人で寝転びながら幾度も反芻している。
肝心のクリスは今はここにいない。本部から呼び出しがあり早朝に出かけてしまった。
心配する自分を、緊急事態ではないようだから、と笑ってなだめていったクリスの、昨日の今日で少し居心地わるそうに照れた表情を思い出して、レオンはほくそ笑む。
さも偶然かのように振る舞ったが、クレアに連絡を取ったのはレオンのほうからだった。兄の、それもわざわざクリスマスの予定なんかを聞きだそうとする友人に訝しげにしていたクレアだったが、クリスにはプレゼント、と言ったらしい。単純に兄を気遣ったのか、それともレオンの思惑に気付いているのか。それは解らないが、彼女には礼を言わねばならない。
今日、想いを打ち明けようと決めて来た訳ではなかった。あわよくばという気持ちはあったが、それよりもとにかくクリスに会いたかった。
思っていたよりもレオンの訪問を歓迎してくれたクリスが、自分のチームの話になった時にどことなく鬱いだ様な声色になっていたことに、本人は気付いていただろうか?少し酒が入ったこともあって、取り繕うこともできなかったのだろう。彼はきっと今、何かチームに絡んだ悩みを抱えている。
自分なら…、とレオンは思った。自分がそばにいたなら。あれほどまでにクリスに心酔する人間が集まっていながら、彼を気遣える者は周りにいないのか?クリスが無理をする質で、仲間や、それこそ部下に弱みなんて見せないであろうことはレオンにも解る。わかってはいるが、そう思わずにはいられない。
苦しいときは、自分を頼って欲しい。
そう思う気持ちが、本当にクリスを気遣っているからというよりも、身勝手な独占欲からくる感情だということには、いくぶんか前に気付いていた。気付いたころにはとっくに、あの朴念仁な友人の兄を、そういう意味で好きになってしまっていたのだ。
そして、クリスにも自分を同じ用に愛して欲しい。
だから、少しずつ取り入るようにした。クリスは良くレオンのことをいいやつだと言った。優しい男だとも。あたりまえだ。そう思われる様に、振る舞っているのだから。あの愛すべき正直な男は、こちらが好意をみせれば、それと同じ好意を返してくれる。
クレアとクリスが、どれだけ離れていても無条件で揺るぎない信頼を寄せ合う兄妹であるように、自分のことも心から受け入れて欲しい。クリスに羨ましいと言ったのは本当で、思えばあの2人の絆を知ってから存在を意識し始めたように思う。あの頼もしくも不器用な優しい男に、これほどまでに愛されたら、どれだけ幸せだろうかと。
ただそれが、まさか肉欲まで伴う感情になろうとは、流石に初めは予想もつかなかったが。
昨夜、一線を越えようと思えばできたかもしれない。
静かにキスを受け入れて、少し緊張しながらもこの腕に抱かれて眠ってくれた。重いぞ、腕が痺れるぞ、なんて、何度も確認をとってきたのが可愛かった。とまどいながらも受け入れようとしてくれているのがレオンにもわかった。
次は、我慢できる自信がない。だが、その前にクリスの答えが聞きたかった。
クリスが戻るまで待っているつもりのレオンだったが、出動の内容も聞いておらず、今日中に帰ってくるのかもわからないのでどうしようかと考えはじめた頃、彼は帰って来た。そろそろ夕方に差し掛かるかという意外に早い時間だった。
だいたいのあらましを聞くと、ある事件で捕まった容疑者かウィルス絡みと思われる供述をしたので、裏付けをとるためにBSAAが呼ばれたようだ。「結局は事態を混乱させるための狂言だった。あとは、俺の仕事じゃないからな」
悪質な嘘をつく奴がいるよ。とため息をつくクリスに、まあ、何事もなくて良かったよ、とレオンは声をかけた。
ふたりとも、冷静を装ってはいるが、どこか空気が浮ついている。
「…待っててくれたんだな」
クリスが、おずおずと切り出した。そうだ、お前の返事が聞きたくて。そう、答える前に、手が出ていた。
それでもやはり、クリスは大した抵抗なぞしなかった。
昨夜より少し強引に引き寄せて、ゆるく結ばれた唇を舌でこじ開けた。途端にびくりと身体を戦慄かせて一瞬逃げそうになる腰を捕まえ、レオンは口付けを続ける。深く、深く。時折漏れる押し殺したような吐息が、レオンの情欲を煽る。
そのままクリスの背を壁に押し付けると、ゆるく胸板を押し返されて、レオンは名残惜しげに唇を離した。ちゅ、と僅かな水音が響く。
「クリス、お前が好きだ。ずっと…好きだったんだ」
息を整えたクリスが何か言おうとするのを遮って、レオンが告げた。あんなに聞きたかったはずのクリスからの答えは、土壇場になって聞くのが怖くてたまらない。もし、今拒まれて、止められるか?頼む、クリス。乱暴にしたくない。どうか、このまま。
「…レオン」
ありがとう、と、クリスは言った。
語尾を少し振るわせて、はにかむように微笑んでいる。
レオンにとって、それはイエスと同義だった。
その日の朝、本部からの呼び出しに応え、クリスはゆっくりしていてくれとレオンに告げて家を出た。昨夜からのことで少しばかり気まずい雰囲気があったが、決して悪いものではなかった、ように思う。
クリスにとっては突然知らされたレオンからの気持ちに、もう少し時間を置いて考えたかったので、言っては何だがこのタイミングはちょうど良かったのかもしれない。昨夜は一度キスをしただけで、何もなかったが、あと少しレオンが踏み込んで来たら。きっと自分は流されてしまう。
レオンがどこまで本気なのか、クリスは計りかねていたが、曖昧な気持ちで応えてはいけない予感めいたものを、漠然と感じている。
道中、詳細を聞きながらクリスが到着したころには、先に出動した十数人がすでに現場の捜索にかかっていた。容疑者の証言は眉唾だったが、万が一にもウィルスが流出する危険があるのなら早急に対処しなくてはいけない。準備されていた装備を整えて、自分も捜査に加わるべく件の建物へと足を進める。
「あ…クリス隊長…」
初動措置隊に合流したところで、居る筈がないと思っていた相手に出会い、解りやすく面食らった顔をしたクリスにピアーズがいつかと同じようにおずおずと呼びかけた。
「お前、どうして」地元に帰ってるはずじゃ、と言いたいであろうクリスに、バツが悪そうに苦笑いする。
「すみません、俺、どうしても気になって」
「…まあ、いい。とりあえずその話はあとにしよう」今は任務に集中しよう、と、現状の確認を求めたクリスに、いつもどおり淀みなくピアーズは報告を始めた。
「それで、どうしてまだこっちに?」
だいたいの撤収作業を終え、解散の号令をかけた後、引き上げる隊員達を横目に、クリスがピアーズに問いかける。
「そんなに俺は頼りにならないか?」
「いえ!あの、全然、そういう意味ではなくて!!」
あの、変な事言うかもしれないけど、笑わないでくださいね?と、彼にしては歯切れの悪い物言いをするので、クリスは本当にピアーズが言いたい事がわからず首を傾げた。
「…俺、嫌なんです…。俺のいつものポジションに…その、隊長の隣に」
別のやつが立つと思うと。
小さい声で、確かにピアーズはそう言った。
何故、と思わずクリスが呟く。ピアーズはあわてて、「すみません、変ですよね!勝手に周りと張り合って」と弁明を始めた。
「でも、隊長の右腕として…って、俺が勝手にそうなりたかっただけですけど…最近は周りのやつらからもそう言われるようになって、口の悪いやつなんかは、”キャプテンの犬”だなんて言うけど、俺は、俺を見出してくれた隊長の役に立てるのが嬉しくて、えと、それで、それが、俺の誇りなんです…」
あの、俺いまめちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってますよね、と、ピアーズが照れとバツの悪さをごまかそうと、あらためてこんなこと言わせないでくださいよ!なんて、未だ反応をしあぐねているクリスをちゃかすように笑う。
どうして、
どうして、そんなことを言う。
沸き上がってくる、”隊長として”だけではない喜びに必死で蓋をしながら、クリスは嬉しさと、絶望の入り交じった感情を握りしめてピアーズの前に立っている。
自分はこんなにも彼に想われている。尊敬すべき隊長として、目標とする人間として、理想の男として。最高の讃辞だった。そして、もうそれ以上でも、それ以下でもない。それ意外には決して、なり得ないのだ。
いま、ここにいたくない。彼の隣には。
無性に、レオンに会いたい。
どうしよう、隊長に引かれたかもしれない。
そのまま直帰すると去って行ったクリスの、車のタイヤ痕を見るともなしに見ながら、ピアーズは少し後悔していた。
本当のことを言っただけだし、すでに周りにも普段から公言しているようなことだったし、何も後ろめたい気持ちなんて無いのだが、いざ言葉にするとスマートには行かず、それどころが言ってるそばから自分でもなんだか気持ち悪い告白をしているような気になってきた。
実際、同僚達は普段なかなか会えないフィアンセ(まだ正式に婚約したわけではないとピアーズは嘯くが)をほっぽってきたピアーズにあきれて一斉にため息をついた。
「お前はさ、『仕事と私どっちが大事なの!』って言われて、迷わず仕事を取るやつだよなぁ」うんうんと、何故か納得したように数人がうなずく。
「いや、別に、彼女はそんなこと言わないし。そもそもそれって比べられるような話じゃないだろ」
「あ、じゃあさ」ピアーズの場合はこうだよ。と別の一人が言った
『クリス隊長と彼女どっちが大事なんだ!』
どっと周りが湧いた。そりゃだめだ。ピアーズにそんなこと聞くのは野暮だよ、と盛り上がっている仲間達を尻目に、当のピアーズは神妙な顔をして黙り込んでいる。
なんだ自覚ないのか?とからかってくる声や、すまん、冗談だよ、とすまなそうにかけられる声も耳にはいらない様子で、しばらく思考を巡らせたピアーズは、すまないが、俺もこのまま帰るから、と言って場を後にする。
そもそも本来は休暇扱いでシフトにも入ってないピアーズを、同僚たちは快く見送った。
数回訪れたことのあるクリスの自宅のそばにバイクを止めて、ピアーズは迷っていた。
思わず後を追って来てしまったが、なにを伝えるつもりなのか、まだきちんとまとまってはいない。
本当は、何事もなく任務が追われば、自分の我が侭を聞いてくれた彼女の元へ即効で帰るつもりだった。それなのにまだ、連絡すらも入れていないことに、ここにきてようやっと気がつく始末だ。
そして、ここまでバイクを飛ばしている最中、一度も彼女のことを思い出さなかった事に罪悪感を覚えながらも、自分でもなんとなく納得していた。己の気持ちの行く先に決着をつけねばならない時が来たと、薄々と気がついている。
ともかく、自分のあの変な自己主張を聞いたあとのクリスの微妙な態度が気になるし、このままなんとなく流されるのも心苦しい。もしピアーズの執着めいた言動に気分を害してしまったなら、うやむやになる前に謝っておきたい。
とはいえ、表現はどうあれ正直な気持ちだったので、何について謝ればいいのか…
しばらく考えが右往左往したが、元来まずは行動に起こしたい性質だ。
よし、と一度深呼吸して、バイクを降りると、その扉の前へと向かった。
 
 
 
 
 
 
呼び鈴が鳴っている。
起き上がろうとするクリスを、レオンが捕まえてベッドに縫い止めた。
「あ…レオン、誰か、来…」
「いいから。いかないで。」
ほら、集中して…と甘くクリスの耳元に吐息を吹き込むと、びくびくと腕の中の身体が震えた。中に埋め込まれた指が、クリスのささやかな抵抗する意志を溶かして行く。
レオンはともすると情欲のままに責め立てたくなる衝動を押さえながら、与えられる快感に翻弄されて跳ねるクリスの身体を、ゆっくりと暴いて行く。
生理的なものからか、または別の理由があるのか、クリスの眦から涙が一粒滑り落ちた。その跡を追うようにレオンが口づけると、ふっと短く息を飲む声が聞こえる。
クリスは優しくされたがっていると、レオンは感じていた。きっと無意識だろうが、甘い言葉をかけたり、髪を撫でたり、気遣う仕草を見せると、潤んだ目が嬉しそうに細まった。ならば、好きなだけ甘やかせてやろう。嫌なことがあるなら、忘れてしまえばいい。俺が、忘れさせてやる。
来客を継げるベルは、控えめな長さで間隔を空けて何度か鳴ったが、やがて止んでしまった。