ながい愛

「ケイ!」
自分を呼ぶ溌剌とした少女の声。それに咎める響きが入っているのを察して、俺は相手に気づかれないようにこっそりため息をついた。
「ローズ、丁度良かった。明日から俺しばらく居なくなるから」
「聞いたよ!どうしていつもケイ1人で危ない仕事ばっか…」
まあまあ、と手で制して座るように諭す。少女はまだあどけなさが残る顔に不機嫌をにじませつつ、整備の途中だった武器が散らかるデスクの前にやや乱暴な仕草で腰をおろした。
声の主…ローズは、あんなに拒んでいたのが一転、組織に入ることを自分で決めてここにいる。まだ完全に迷いを払拭できたわけではないだろうに、必死に能力と向き合おう努力しているのが、幼い頃から彼女を知る俺達にはよく解った。
何かきっかけがあったようだが、本人が多くを語ろうとしない。クリスもそこは気になっているようだが、これまで何度も誘いを断られていた手前、やっと了承した理由を無理に問いただす勇気もないらしく、俺に何か知らないか聞いてきたが、あいにく俺だって自主的に何かを成そうとしている若者に探りを入れるような野暮なことはしたくない。
残念ながら、まだ得体の知れないローズの能力についての危険性だとか、出自だとかに懐疑的な者も少なからずいるのが懸念されるが、本人曰く「クリスの名前を出したら大人しくなるだけ学校のいじめっ子よりマシ」だそうだ。
まあ、クリスに心酔している連中からしたら、それもおもしろくないんだろうが。
俺からしたらあのクリスが、この少女に関してはまるで思春期の娘の父親のように気を使っているのがおかしくも微笑ましい。ローズ本人はそれを聞いても喜ばないだろうことが残念だ。
「しょうがない。俺は有能だからな〜」
「…ケイ、真面目にさ。ずっと何も言わないままでいいの?」
死ぬかも知れないんだよ、と、打って変わって真剣な声でローズが言った。
「俺から提案したんだ。作戦として理にかなっていたから、クリスも承諾した」
「一緒だよ。クリスは自分が言わなくてもケイがそうしてくれるって最初っから解ってる」
子供というのは先入観がない分、時に大人より鋭い。それとも、女の勘とやらに年齢は関係ないのだろうか。
俺が一度は墓まで持って行こうと決めた秘密に、ローズには早い段階で気づかれていた。
「あのね、クリスは堅物だけど、ケイが思ってる程鈍感じゃないんだよ」
わかってる。何年、そばにいると思ってるんだ。
「大人には色々あるんだよ」
「はいはい!そうやってジジイになるまで言い訳してれば!」
良いように使われても、もう可哀想だなんて思ってあげないからね!と、端正な眉間に皺を寄せて怒っている。優しい子だ。
辛い境遇にあっても彼女は人を思いやれる。父親と同じだな。
ここまで自分に味方してくれると嬉しくもあり、反面、人でなしのように言われるクリスが少し不憫だったが、本当は彼女だって、クリスにもクリスなりの情愛があるのを解っているのだ。父親にも母親にも向けられなかった反抗期の矛先が向かっているのはむしろ健全なことだと思う。俺に対しては気安く文句が言えるだけで、話の中心によくクリスが出てくるのがその証拠だ。
「俺は俺の出来ることをする。それだけだよ。彼は関係ない」
嘘じゃない。でも、真実でもない。いまさら、見返りなど求めてはいないが、躊躇わずに危険に身を投じられる理由は、紛れもなく彼の存在があるからだ。
ローズは、まだ納得がいかない顔をしていたが、じゃあこれはただの私の意見だけど、と前置きして、俺の目を見た。
「大切な人が、生きてそばにいるのに何も伝えないなんて、きっと、後悔するよ」
アドバイスでも説経でもない、ただ実感だけが籠もった彼女の言葉は、もう心を決めたはずの俺にも、決心が揺らぐような居心地の悪さを感じさせた。

 

ハウンドウルフに入った時は最年少だった。クリスについてはBSAAを離れる前から、古参の隊員達から色々な話が聞こえてきたものだ。
彼らの語るクリス像は、自分の印象とは異なっていた。真面目で、仲間想い。普段は穏やかだが、情に厚いが故に過敏で、時には感情的になり融通が効かない所もある。確かにそういう部分があるのも頷けるものの、自分から見えるクリスは皆が話すような人情味には欠けて見え、もう少し冷たい感じがした。思いやりがあるのは解る。だが必要以上に自分を見せてはくれず、どこか一歩引いていて、真意が見えてこなかった。
それでもクリスについて行ったのは、信用できるからだった。窮屈な組織で曖昧に濁された上の思惑に従うよりも、彼の元で実力を発揮したかった。当然部下への要求レベルも高かったが、彼自身がそれ以上の働きをしているのを誰もが知っていたから、メンバーは皆疑いなく彼に行く末を託した。
反面、近くで見るクリスは、危険を顧みないばかりか、時に己を犠牲にしているようで、経験も実績も自分と比べれば雲泥の差があるのに、どこか危ういところが目に付くよつになった。いつの頃からか、放っておけないと思うようになった。誰かがそばにいないと、すぐにでも破滅に向かいそうな戦い方。
そうして気づけばもう20年近くそばにいる。かつてのクリスを語った連中ももうここにはいない。そして俺は、今や彼らの誰よりも長くあの人のそばにいる。

「ケイナインです」
「ああ」
クリスのオフィスは名ばかりで、いつもは彼に会おうとすると居場所を探すのにひと苦労だ。だが肝心な時にはいつの間にか現れて、皆の士気を上げている。
組織が大きくなるにつれ個人的に話をできる機会は少なくなったが、オフィスの扉を開けたとき、俺を待っているクリスを見るのは好きだった。
「準備はどうだ」
「上々だよ。あんたは期待してここで待っててくれりゃいい、ボス」
極力、軽い口調で言ってやる。
少しでも笑ってくれることを期待したが、いつも眉間に刻まれてる皺をさらに深くして、クリスは神妙な面持ちのまま、
「チャーリー、難しい任務になるが…」
と、彼にしては歯切れの悪い口調で、俺の名前を呼んだ。
それだ。
そういう顔で、そうして名前を呼ばれると、途端に俺の決意が鈍くなる。
やめてくれ、あんたはただ、命令すればいい。
そうすれば、俺はそれを完璧にやってみせるだけなのに。
けれど一方で、彼が他のやつらにはめったに見せない人間味のある表情で、気遣うように名を呼ばれるたび、あさましい喜びがどうしても胸中に湧き上がってしまうのも事実で。
仕方がないんだ。わかってる。ずっと前から自覚している。
これは恋だ。
俺はもう長いあいだ、彼に恋をしている。

 

これだけ長い間、この人を見ていれば、嫌でも見えてくる。最初に冷たい印象を受けたのは、彼が人を必要以上に近づけさせないようにしているから。もう、多くを亡くしたくないからだ。
来るものを拒否することはないが、去るものも追わない。ときに批判され、見限られたとしても、彼は何一つ弁明しない。何かを諦めたかのように、いまだに独りで戦っている。
俺は知っている。彼にこれまで何があったのか。亡くしたものの大きさを俺なんかが測り知れないことも、ましてや癒やそうなんておこがましいほどの傷跡の多さも。
だから、俺は俺のできる限りであの人の役に立てればいいと思った。どんな過酷な任務を要求されてもそばにいて、彼の孤独の、少しの慰めにでもなればそれでいいと。ただ、このまま独りでいさせたくなかった。
若い時には、彼の破滅的な生き方に憤りを感じて反抗したこともあった。
どうあがいても成就しないだろうこの気持ちを抱えきれず、去ろうとしたことも。
けれどもし去ることを選んだとしても、クリスは俺を引き止めやしないし、結局また別の俺みたいなやつが俺の場所に収まろうとすることもあきらかで、結局できないまま終わった。
そうしてもうほとんど意地になって、同じことを続けていれば、大抵のことは時間が覆い隠してしまう。それなりの距離で、気心のしれた部下としてそばに置かれ、重用されるささやかな優越感に満足して、いまさら彼の肌に触れようなんて考えも湧かなくなった。
ただ、この恋心だけは、ついに消えてはくれなかった。
お互い歳をとり、彼の髪や髭に白いものが混じり刻まれた皺が深くなっても、これだけは変わらない。
「心配無用だ。俺が今までヘマしたことは…まぁ、ないとは言わないけど」
「いや、お前のことは信じている。だが十分用心してくれ。…お前を、失うわけにはいかない」
自分に向けられる気遣い、親しみを込めて呼ばれる声、隠せない彼の暖か味。
ささいな仕草にそれはたびたび呼び起こされて、年甲斐もなく浮かれてしまう。
「わかってるって。無謀なことはしない。あんたが生きて帰ってこいって命令すれば、俺はそれを守る。知ってるだろ?」
「ああ…そうだな」
やっと、笑ってくれた。
目尻の皺が下がり、この強面が途端に柔らかい雰囲気になるのを見てやっぱり好きだなと思う。
「…なぁボス、覚えてるか?いつか俺が癇癪起こしてあんたを責めたこと」
ローズとあんな話をしたからだろうか、なんとなく感傷的な気分でつい口にしてしまった。
「…そういう時期もあったな」
「あんたのやり方に、不満があったんじゃない。
…あんたに気にして欲しくて、我儘言ったんだ」
それを口にして、彼に何を言ってほしかったわけでもない。
ただ、危険な任務の前に、この哀れな恋心の片鱗でも彼に残して行きたかった。
「ああ」
クリスは、少し片眉を上げ、そうして一瞬考えて、あまり見せたことのないどこか得意げなような、皮肉交じりのいたずらっぽい目をして、微笑みながらこう言った。
「知ってたよ」

 

俺の負けだ、ローズ。このままでいいなんて、大人のダサい言い訳だ。
何が見返りなど求めていないだ。
俺はずっと、彼に認めてほしくて、よくやったと笑う彼の顔と言葉ひとつのためだけに、ずっと身を投げ出してきたくせに!

俺は、彼が俺の思いに気づいていることさえどこかで知っていて、それでも俺をそばに置く彼に安心していた。何も変わらないことに甘えていたんだ。

いまからでも、何か変えられるだろうか。
なぁローズ、俺たちは生きているんだから。

この長期任務から生きて戻ってきたら、キスの一つでもせがんでみようか。
そうしたらあんたは、まだ俺の見たことのない顔を見せてくれるかな。

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